9月園だより(9/7)

「わたしの目にあなたは価高く、貴く、わたしはあなたを愛している」

イザヤ書43章4節

二学期が始まり一週間が経ちました。子どもたちは毎日、かけっこや玉入れなど、運動会の練習に励んでいます。

数年前、子どもたちと話していたら、「パイロットになりたいんだ」、「ぼくは看護師になりたい」と教えてくれました。素敵だなと思いました。

ところが去年まで2年間、わたしはあるキリスト教学校で高校2年生に聖書を教えていたのですが、生徒たちから次から次へと出てくるのは、何をしたらいいのかわからないという答えでした。わたしも自分が高校生のとき、そうだったなと思い出しました。

でも、どうして小さい時には思い描いていたはずのなりたいものが、高校生になると出てこなくなってしまうのでしょう?

ある本にこんなことが書かれていました。自分はこうなりたいというイメージが出てくるのは、勉強やスポーツができるからとか、何か自分にできること、長所となることがあるからではなくて、自分に自信をもって、自己肯定感を持つことで芽生えてくるようなのです。

そして、そのために皆さんやわたしたちにできるのは、子どものありのままを受け入れて、ありのままで、あなたには価値がある、かけがえのない存在だと全身で伝えてあげることなのです。

勉強ができたからいい子、スポーツでいい成績がとれたからすごいとほめるのでなく、あなたにはもっとずっと大切な価値があるのだと伝えることが一番大事なことのようです。

それを聞いて、わたしは反省しました。おゆうぎ会の時、子どもたちの成長を見つけて喜ぼうとお話ししたのですけれど、これだと、成長が見つからなかったら喜べなくなってしまいます。本当は、たとえ何もなかったとしても、もっと大切なこと、あなたを愛しているよということを、子どもたちに十分に伝えてあげなければいけなかったと。

皆さんは、「何かができたから愛しているよ」でなくて、子どもたちに、たとえ何も見つからなくても、わたしはあなたを愛しているよと伝えておられますか?

それを誰よりも最も大切なこととしてあなたに語りかけ続けておられるのがわたしたちの神さま、主イエス・キリストです。

何かができたから、あるいは、良い子だからでもありません。たとえわたしたちが神さまなんていらない、信じないと言っていても、どんなに自分の中に嫌なところがあったとしても、イエスさまはあなたのことを愛しておられます。