「見ないのに、信じる人は幸いである。」
(ヨハネによる福音書20章29節)
2023年度の幼稚園の歩みが始まり、あっという間に2ヶ月が経ちました。
昨日、入園してからずっと不安そうな顔をしていた子どもの笑顔を見ました。
不安そうにしている子どもたちを見かける度に、わたしはいつも、3月に立派に卒園していった子どもたち、そして、もう既に素敵な青年になったかつての子どもたちのことを思い出します。
そして、「きっとこの子どもたちも笑顔になれる日が来る。いつその日が来るのかな」と思い、その時がとても楽しみになります。
4月のはじめ、未就園児ポピークラスのオリエンテーションに出席した時、こんな話しを聞きました。
ポピークラスの子どもたちは、登園してくると、自分の名前の書かれたカードを探して、登園のしるしとしてボードに貼り付けます。
親であれば誰でも、ご自分の子どもに、早く名前を覚えて欲しいと思います。
でも、オリエンテーションで伝えられたのは、自分の名前を教えないようにということでした。
いつか必ず自分の名前がわかるようになる時が来る。だから、その時を楽しみに待ってほしいと。
わたしはこの話しを聞いて、嬉しくなりました。いつ自分の子どもが自分の名前をわかるようになるのだろうかと、その時を今目の前に見ているように待つのは、とても楽しいことです。
この待つというのは、聖書の信じることと同じだと思いました。
今目に見えるものを信じるのは、信じることではありません。目に見えないから、信じるのです。
でもわたしたちは、信じて待つことが苦手です。それよりも、早くできるようになってほしい、それが良いことと思って、信じて待つことの喜びを失ってしまったのかもしれません。
小さな子どもたちにとって、親から信じてもらい愛されることは、これからの歩みの大きな土台となります。
親から多く信じてもらうことのできた子どもは、人を信じることができるようになります。多く愛された子どもは、人を愛することができるようになります。
信じることは、子どもたちに、そして皆さんにも多くの喜びを与えてくれます。
早く、早く、ではなくて、信じて待ってみましょう。
神さまが最も良い時を与えてくださいます。
見ないのに、信じる人は幸いです。
園長 菊池美穂子